アラサー、健康大事。
10年前に飲食のバイトで駆け回っていた時ほどの体力はもうないし
去年まで大人らしからぬ余裕のない朝で最寄りの駅まで走っていた体力も今年はないし
筋肉痛だって、いつからか2日後にメインパートが来るようになって。(さすがに遅すぎ…?)
30歳に近づくと体力が落ちると言いますが、本当にその通りだなと身をもって実感する日々です。
体力が落ちるだけならまだしも、アラサー女子は女性特有の婦人科系疾患が見つかる人が多いみたいで、私もその一人です。
なんとなく、結婚したら子供がいる未来を想像していたのに
病院に来る時はまだ当たり前だと思っていたのに、帰り道にはその未来が簡単に、いわゆる普通に、届く場所にはありませんでした。
揚げ物大好きな食生活がダメだったのか、冷たい飲み物が好きなのがダメなのか、私は何か自分の体に良くない何かをしてしまったのか。
考えたらキリがありません。
まして結婚の話もまだしていないパートナーにどう話したらいいのか、どんな気持ちで一緒にいればいいのか考える時はちょっと太めの針でズブズブと心を刺される思いでした。
自分の気持ちがちょっとでも落ち着いて、先のことを考えられるようになるまで私には少なくとも1年は必要だったし
今でも100%スッキリしたわけではなく、不安を感じながらそれでも診断された当時よりは前を向けるようになったかなあと思います。
この2〜3年はそんな疾患が見つかるやら、持病の調子は良くないやら、片頭痛なんて過去一に発症頻度高めで、挙げ句の果てに胃腸炎のカウンターパンチを喰らいました。
親知らずも抜きました、1本だけ。
この先もあわよくば長生きしたいと思ってるので先が思いやられます。
29年も同じ体にお世話になると、体もそろそろメンテナンスしておくれー!とでも言ってるのでしょうか。
子どもの頃は体育の授業なんかで強制的に運動の時間がありましたが、
大人になって自由を手に入れた分、自分の健康のための時間は自分の強い意志のもと作らなければなりませんね。
これを続けるのがまだ一苦労なのですが。
一筋縄では健康は手に入れられないけど、少なくともまだ悪くはならないよう現状維持のために努めたいものです。
さて、今日は無事仕事納めでしたので
飲みに行ってまいります!
メンタルの健康も大事デスヨネ。
まだまだ神頼みの比重がだいぶ多めのわたしの健康ですが、
来年も年始は神社でめいっぱい健康祈願をして今できることからボチボチと動くことにします。
わたしの当たり前
数週間前にタクシーに乗った時、運転手さんからちょっとした愚痴を聞きました。
障害者手帳を持っていると運賃が割引されるんだけど、それには手帳の確認をしていてね、
この前、足が悪い高齢のお客さんを乗せた時に「見た目で分かるものをどうしてわざわざ見せなきゃならんのだ!」って言われちゃって。
だからさっき、若いあなたが律儀に手帳を出して割引のことも確認してくれて、気持ちが少し軽くなったよ。と。
悲しいことにこういった場面にたまに出会うんです。
電車の優先席でも、
見て分かるように体が悪い私になぜ席を譲らないんだ!譲るのが当たり前だろう?あなたはそんなに元気なんだから。
実際に私もボーッと座っていて申し訳ないことに席を必要としている方に気付かず、罵るように言われたことがあります。
理解してもらえて当たり前。してもらって当たり前。
コナンくんのセリフを借りるならば、私は見た目は健常者、内部は疾患あり!の障害者手帳を所持する人間です。
あの時電車で私を咎めたご婦人も、まさか私の心臓が悪いなんて知らずに言われていたのでしょう。
幸い体調の良かった私は席を譲りました。
こういうことに出会うといつも思うことがあります。
当たり前だ!と言わんばかりに権利を振りかざされると、感情のあるいち人間としてはなんだか腑に落ちないよ…と。
世の中には目に見えているものと見えていないものがどうしてもあって、
見えないものは自分から伝えたり誰かから教えてもらわなければ知る機会さえありません。
そして見えているものでさえも、時には自分の見たいようにしか見えないことがあります。
生まれながら目に見えない疾患を抱えた私にとって、私の当たり前を周りに知ってもらうには言葉で伝えることは日常です。
そしてありがたいことに、それに対して周りの人たちは当たり前のようにサポートしてくれます。
これは当たり前ではなく、たくさんの人たちの思いやりで成り立っていると、ひしひしとこの29年で感じてきました。
私の場合はたまたま障害というカテゴリーですが
それに限らず、毎日いろんな人がそれぞれの環境や体調、様々な思いで過ごしているし
そこに残念ながら自分のいつもの当たり前は通用しません。
お互いを思いやる気持ちがちょっぴりでもあったなら、もう少しモヤモヤする時間よりも温かい時間が増えるのかなと
きれいごとながら思います。
女子と仕事と結婚と
女性って言うほど堅い投稿でもないし、女って言い方は冷たい感じがするし、
女子って言うにはちょっと年齢的に危うくなってきていますが今日のタイトルは女子にしました。
前回の記事でも少し書きましたが、大事な友人の結婚や出産ってものすごく感情が動くんですよね。
嬉しいやら涙は止まらないやら、とにかくこんなに感動することがあるなんて人生最高…!くらいに私なんかは思います。
29歳の私にとって特にこの3〜4年はお祝い事のラッシュで、それはもう心がポカポカでした。
いわゆる転勤族と言われる仕事をする旦那さんについていくために、自分の仕事を辞める友人も私の周りには多かったです。
一方で、その頃は職場が女性のキャリアにも力を入れ始めていた時期でもありました。
社会的にも働く女性を応援する会社が増えていますし、ありがたいことです。
家族のために仕事から離れる選択をした彼女たちは自分でそうしたいと思って選んだこともわかってはいるけれど
すぐ隣にある別の世界では女性のキャリアが後押しされている状況がなんだか腑に落ちませんでした。
女性のキャリアっていうけれど、実際は結婚や出産を機に仕事から離れる人や離れざるをえなかった人もいて、
20代で積み重ねたキャリアの先なんて考えられないって…。考えてもなんか虚しい。
とも感じていました。
ここまで考え込むともう沼です。
その沼にハマったのが私です。
さらにこの時、深い沼に足を取られたかのように私自身も今の仕事を続けられない可能性が出てきました。
可能性っていうのはまた厄介で、まだ見えない将来を前にあらゆるケースを想像しては不安になり、完全に仕事に対するやる気を失いました。
パートナーの働く環境次第でこうも私の仕事は変わってしまうことがあるのか、とやるせなさに駆られる日々。
きっと仕事を失う以上に、学生の頃から頑張ってきたものが失われること、今の収入がなくなることが怖いんです。
いうて、そんな稼いでるわけでもないけど。
今も沼からは抜け出せていません。
それでもこれからの変化を楽しめるようなしなやか女子でありたいものです。
アラサー女子と仕事と結婚、とんでもない沼だなあ…。
歳を重ねる
しっかり三日坊主で間が空いてしまいました。わたしの初心、信用ならない…。
少し前に行ったいつもの美容院で、担当さんと一緒に入ってくれたアシスタントの女の子がどうやら新人さんで。
シャンプーやドライヤーがとても上手!とはお世辞にも言えなかったけれど、きっと踏ん張って頑張ってるのかな、と感じる姿勢にしみじみなんかしちゃって、
ああ、歳をとったもんだなぁ
と実感しました。
29歳、えらそうにしみじみしちゃいました。
シャンプーの時に誕生日の話になり、その20歳くらいの女の子が
「もう誕生日が来ても嬉しくない歳になっちゃいました。苦笑」
とポロっと。
きっとまだ慣れないシャンプーをしながらも気遣って当たり障りのない話しを選んでくれて、私も当たり障りのない返しをしたけれど
なんだかそんなの寂しい
と心の中では少しだけモヤモヤしてました。
子供の頃はあんなに嬉しかった年に1度の誕生日なのに。
大人になると嬉しくないなんて、寂しい。
今ではそんなことをことを思う私も19歳と20歳の時はもう歳をとりたくない!と誕生日が嬉しくなくなったことがあります。
同じような時間が続くなら歳をとりたくないと漠然と思っていたのだと思います。
それから少しずつ「大人」をしていくなかで、
大人の醍醐味を知ってしまうわけです。
初めて自分の稼いだお金を使ってみたり、親孝行にちょっといいお菓子を買って実家に帰ったり、友達と楽しいお酒を飲んだり、大好きな旅行に行ったり、大事な友達の結婚や出産、家族の結婚や親になる姿を見たり。
一つずつ経験しながら少しずつ歳を重ねることへの価値観が変わっていく自分がいるのも、なお醍醐味。
一通りの感情を経験したと思っていたあの頃の自分に、こんなにもまだまだ楽しくて心の底から嬉しいことが起きるのが歳を重ねることだと、今なら熱弁できそうです。確実にウザがられそう。笑
もちろんできれば経験したくないしんどいことや辛いこともあるけれど、
少なくとももう歳を取りたくないなんて今は思わないし、今でも年に一度の誕生日は変わらずワクワクして、歳を重ねるのが楽しく嬉しいです。
いつか、あのアシスタントの女の子もそう感じる日が来るのかな。なんて思うと、えらそうにしみじみしちゃいます。
歳とったなあ。笑
30歳の壁
今年29歳を迎えてから20代でやり残したことはないか?なんて頭の片隅でチラつくようになって、
今の環境でやりたいことをどちらかと言えばツルツルの脳みそでボケっと考えた結果、今日やっとこのブログ開設にたどり着いた所存です。
年齢的に節目を迎えるにあたりこれまでの30年間のこと、これからのこと、そしてこの20代ラストイヤーに感じていることを自分の言葉で残しておきたいと強く思いました。
タイトルで30歳の壁、と言いつつ本当にそれは壁なのか、壁だとしてどんな壁なのかも正直よく分かっていません。
29歳の今の私から見た30歳は、自分がなるにはまだ少し大人過ぎるような、色々なことを考えなくてはいけない時期のような、簡単に全貌が見えない壁を感じます。
独身だし、仕事も悩むし、アラサーの健康問題は深刻だし…。
この歳を乗り越えてこられた人生の全先輩を尊敬します、ほんとうに。
まずは無事30歳になるまで続けるぞ!
なんせ完璧な三日坊主なものでして。ゆるりとしながら更新努めてまいります。