わたしの当たり前
数週間前にタクシーに乗った時、運転手さんからちょっとした愚痴を聞きました。
障害者手帳を持っていると運賃が割引されるんだけど、それには手帳の確認をしていてね、
この前、足が悪い高齢のお客さんを乗せた時に「見た目で分かるものをどうしてわざわざ見せなきゃならんのだ!」って言われちゃって。
だからさっき、若いあなたが律儀に手帳を出して割引のことも確認してくれて、気持ちが少し軽くなったよ。と。
悲しいことにこういった場面にたまに出会うんです。
電車の優先席でも、
見て分かるように体が悪い私になぜ席を譲らないんだ!譲るのが当たり前だろう?あなたはそんなに元気なんだから。
実際に私もボーッと座っていて申し訳ないことに席を必要としている方に気付かず、罵るように言われたことがあります。
理解してもらえて当たり前。してもらって当たり前。
コナンくんのセリフを借りるならば、私は見た目は健常者、内部は疾患あり!の障害者手帳を所持する人間です。
あの時電車で私を咎めたご婦人も、まさか私の心臓が悪いなんて知らずに言われていたのでしょう。
幸い体調の良かった私は席を譲りました。
こういうことに出会うといつも思うことがあります。
当たり前だ!と言わんばかりに権利を振りかざされると、感情のあるいち人間としてはなんだか腑に落ちないよ…と。
世の中には目に見えているものと見えていないものがどうしてもあって、
見えないものは自分から伝えたり誰かから教えてもらわなければ知る機会さえありません。
そして見えているものでさえも、時には自分の見たいようにしか見えないことがあります。
生まれながら目に見えない疾患を抱えた私にとって、私の当たり前を周りに知ってもらうには言葉で伝えることは日常です。
そしてありがたいことに、それに対して周りの人たちは当たり前のようにサポートしてくれます。
これは当たり前ではなく、たくさんの人たちの思いやりで成り立っていると、ひしひしとこの29年で感じてきました。
私の場合はたまたま障害というカテゴリーですが
それに限らず、毎日いろんな人がそれぞれの環境や体調、様々な思いで過ごしているし
そこに残念ながら自分のいつもの当たり前は通用しません。
お互いを思いやる気持ちがちょっぴりでもあったなら、もう少しモヤモヤする時間よりも温かい時間が増えるのかなと
きれいごとながら思います。